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BFEP09 プロジェクト着工へ向けて 


昨年のクリスマスに旦那からプレゼントされたフォトフレーム。

CIMG4159.jpg

プロジェクトが無事成功した暁にはこのフレームにその写真が入る予定。

昨年5月に私が仕事を辞めて以来、着々と計画が進められてきた
このプロジェクト。途中で進路変更をせざるを得ない事になったりも
して大変だったけど、やっとの事でここまで辿り着きました。

そしてこの人生最大と言っても過言ではないプロジェクト開始の
ために
私達は今週末から長旅に出ます。目的地はインドのムンバイ。
そうです、昨年11月にテロが発生したあのムンバイです。

何故にわざわざそんな危険なところへと思われるかもしれませんが
それには背に腹を代えられぬだけの理由があるからです。

ここからは話が長いので、お時間のある方は続きへどうぞ。
涙もろい方はティッシュを忘れずに(笑)



ムンバイへ行く目的はただ一つ、代理母出産のための人工(体外)授精を
するためです。我が子を授かれるかもしれないという私達に与えられた
最初で最後のチャンスにすべてを託すためなのです。

私は自分で子供が産めません。重度且つ稀でな子宮筋腫が原因で
7年前に子宮摘出をしました。2人の別の医師の下で筋腫の核出手術を
2回受け三十数個の筋腫を取ったにも関わらず、他に治療の術もなく
翌年子宮摘出する結果となりました。31歳の時でした。

幸い卵巣は正常で残したため、真っ先に調べたのは代理母出産の事。
でもあいにくとアメリカで行う場合には今の我が家(一軒家)が買えて
しまう程の費用がかかり、
我が家のような一般庶民には宝くじでも当選
しない限りは手の届かぬ夢であった事と、
州法によってはいくら契約を
交わしていても産みの母親の親権が尊重され産まれた子供を取られて
しまうというリスクなどもあり断念せざるを得ませんでした。

なので私達はアダプション(養子縁組)をする事を考慮してました。
私が子供を産めないと分かった時に旦那が「きっと自分たちは今までに
飼い主のいない犬猫をアダプトしてきたように、きっと子供に関しても
そうやって家庭のない恵まれない子を受け入れる運命なんだよ」と
言ってくれたのが本当に救いでした。ちなみにアメリカでは日本と
違って自分の子供が授かれない場合アダプションで養子を迎え入れて
いる人は多く、日常茶飯事と言った感じでにオープンに行われているもの
なので私たちとしてもそういう選択に進むのがごく自然な成り行きでした。

ただ私としてはそこまでして子供を迎え入れる心の準備が出来ているか
また
当時は経済的にも全く余裕がない状態だったので、とりあえずは
40歳になるまでに決断を下すという事で旦那と合意しました。

自分でお腹を痛めて産んだ子供だったら産まれた瞬間から親子の絆と
いうものがあるけれど、養子となればまた話は違う。運良く新生児を
アダプト出来ない限りは、既に何らかの精神的なトラウマを背負った
幼児を迎え入れる事になる訳で、私としてはそういう子供を受け入れ
られるだけの精神力が必要である、また自分が専業主婦としてその子に
付きっきりでたくさんの愛情を注いであげたいと思っていたし、
それには旦那の仕事の安定性と一家を支えられるだけの収入が必要であり
旦那もそれに関しては理解していたし、やはり同意見でした。

子供がいなければいないで仕事もバリバリ出来るし、犬猫キッズだけ
なら身軽で楽だと思う反面もありました(以前は猫も飼ってた)。
でも、周りの同僚や知り合いに子供が産まれる度に、頭の中では
その人にとって本当におめでたいと思う傍ら、私の心はズタズタに
引き裂かれる思いでした。子宮をなくした自分を傷物だと思ったり
引け目を感じた事はなかったけれど、それでもやっぱり皆に置いて
行かれ取り残されているような孤独感は常に味わっていたし
泣きながら眠りについた夜など数えきれないほどありました。

そして3年位前から旦那の仕事も落ち着き、二人とも収入も上がり
端から見れば豪遊までは行かないにしても何不自由のない生活を
送っていた訳だけど、やっぱり何かが欠けているんですよね。
そしてそれが子供であるという事をつくづくと実感し、どんな
トラウマを持った子供でも受け入れられるだけの心の余裕も
出来たと感じられたため、やっとの事で決心しました。

私たちは海外からのアダプションを考慮していたのですが、ほとんど
の場合において早くても申請してから実際に子供を受け入れるまでに
最低でも2年はかかるので、37歳になった去年に手続きを開始すれば
40歳になるまでには子供が迎え入れられるという事で、その準備を
進めるために私は仕事を辞めました。

そして様々な国の条件を比較した結果、中国から女の子を受け入れる
のがベストであると判断を下し申請手続きを始めた所、それまでには
知らされていなかった我が家がどうしても克服出来ない条件がある事が
判明し、断念せざるを得ないという状況になりました。第二候補と
考慮していた国はまた違った困難な条件があり、我が家はまた
途方に暮れる状況に追い込まれてしまいました。

そんな時にたまたまルイジアナから旦那の妹一家が遊びにきて
私が妹と話している時に、中国からのアダプションが駄目になった
事を伝えてふと「うちに代理母出産を出来るだけのお金があったら」
と嘆くと彼女から「あら、私つい先日テレビでインドの代理母出産の
特番を見たけど、インドだったらアメリカでかかる費用の数分の
一位で出来るらしいわよ」と言われ、一瞬自分の耳を疑いました。

それを聞いてとっさに思ったのが「確かに私の働いていた会社でも
オペレーションをインドにアウトソーシングしてた位だから
代理母出産がインドで出来ると言われても不思議ではない。
何で今までその事に気づかなかったんだろう」という事。
そして旦那にそれを伝えると「そういえば、最近インドでは医療
ツアーが盛んだって事を自分も知っていた。だけどまさか
代理母出産が出来るという事までは考えが及ばなかった」と。

言われてみれば納得な話だと言う事で、旦那が一日半かけて
ネットでリサーチした結果、どうやらちゃんとした組織で
成り立っているという事が判明。そしてテレビで特集された
ご夫婦の連絡先やブログも見付け、実際に話を聞きました。
そして「実現可能だ」という結論に至ったのでした。

「実現可能」。。。その言葉を聞いた瞬間、数年前に心を引き裂かれる
思いで泣いて泣きまくって我が子を抱く事を諦め、その事について
ずっと壁を閉ざして過ごしてきた日々がガタガタと音を立てて崩れ
ていき、奇跡としか思えないこのチャンスの到来に感極まって涙が
止めどなく溢れ出て来て止まりませんでした。

その後、私も旦那もホルモン検査や精子分析などを行い、どちらも
全く異常なしという確認が取れ、プロジェクト実行が確定しました。
インドの医師の指示の下、2ヶ月間基礎体温を計る事によって排卵日を
割り出し、それに基づき採卵日や人工授精の日程が決まりました。
そして待ちに待ったその日がやっと訪れるのです。

↑のフォトフレームに入っている紙に書いてある言葉は下記の通り。

B家ファミリー拡張プロジェクト
2009年1月着工

ここまで読んでくださった皆様、ありがとうございました。
人工授精の成功もしくは否が分かるのは2月中旬の予定です。

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[ 2009/01/09 19:04 ] | トラックバック(-) | コメント(-)








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